大判例

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大阪地方裁判所 平成8年(行ウ)1号 判決

原告

大藤生コン三田株式会社

右代表者代表取締役

中農文夫

右訴訟代理人弁護士

前原仁幸

被告

大阪府地方労働委員会

右代表者会長

由良数馬

右訴訟代理人弁護士

藤原達雄

被告補助参加人

全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部

右代表者執行委員長

武建一

右訴訟代理人弁護士

下村忠利

三上陸

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

一  被告が大阪府地方労働委員会平成五年(不)第六七号事件について平成七年三月二九日付けでした命令を取り消す。

二  被告が大阪府地方労働委員会平成六年(不)第六七号事件について平成七年一二月一二日付けでした命令を取り消す。

第二事案の概要

本件は、被告補助参加人(以下「補助参加人」という。)を申立人、原告を被申立人とする大阪府地方労働委員会平成五年(不)第六七号事件(以下「本件第一救済申立事件」という。)及び同委員会平成六年(不)第六七号事件(以下「本件第二救済申立事件」という。)につき、被告がした各命令が違法であるとして、原告がその取消を求めた事案である。

一  事実経過の概要

当事者間に争いのない事実、当該各掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができる。

1  当事者等

(一) 原告は、肩書地に本店を置き、生コンクリートの製造、販売業を営んでおり、その従業員は、本件第二救済申立事件の審問終結時二一名であった。

(二) 補助参加人は、肩書地に主たる事務所を置く労働組合で、関西地区において主としてセメント、生コンの製造及び運送に従事する労働者で組織しており、その組合員は、本件第二救済申立事件の審問終結時、約一七〇〇名であった。

補助参加人の大藤生コン三田分会(以下「分会」という。)は、有限会社土勝建材(以下「土勝」ともいう。)に雇用され、原告の事業所内で生コン運送業務に従事する運転手中井健一(以下「中井」という。)によって平成五年八月三〇日に結成されたもので、その分会員は、本件第二救済申立事件の審問終結時、中井一名であった(〈証拠略〉により認める。)。

なお、原告には、全日本運輸一般労働組合関西地区生コン支部北六甲分会大藤班(以下「運輸一般労組」という。)がある。

(三) 土勝は、原告の肩書地において、原告の生コン運送業務を行っていたが、平成五年八月三一日に解散し(同年一〇月一三日登記)、同年一二月二〇日付で清算結了し、同年一二月二二日、その旨登記がなされた。

2  原告の設立及び原告と土勝との関係

(一) 伊藤克明(以下「克明」という。)は、大阪市内で大藤生コンクリート株式会社を経営していたが、兵庫県三田市への事業進出を計画したところ、事業の県外進出となるため、同業者の反対に遭って、その計画の達成が困難となったので、改めて、新会社の設立を計画した。そして、右新会社の設立の計画に従って、平成元年九月二一日、克明が代表取締役、神原秀男及び中農文夫が取締役、伊藤徳一(克明の父)が監査役となって土勝が設立された。土勝の定款では、資本総額は二〇〇〇万円、出資一口の金額は一〇〇〇円で、出資の口数は克明が一万二〇〇〇口、神原秀男及び中農文夫が各三〇〇〇口、伊藤徳一が二〇〇〇口と定められているが、実際には出資金の払込みはされなかった。

平成元年一〇月二〇日、原告が設立され、代表取締役に克明が、取締役に中農文夫、岩崎勝及び神原秀男が、監査役に伊藤徳一がそれぞれ就任し、生コンの製造販売を行う事業の中心となった。原告の定款によると、発行株式総数は一六〇株、一株の金額は五万円で、設立に際して発行する株式総数は四〇株であり、発起人が引き受けた株式数は、克明が三三株、ほか六名が一株ずつであった。なお、原告の設立に伴い、土勝は事実上、休眠会社となった。

(二) 平成三年六月ころ、克明は、兄である伊藤武紀(以下「武紀」という。)から、原告の生コン運送の仕事をしたい旨の申出があったので、これを承諾し、武紀に原告の生産する生コンの約二割を運送させることにした。このため、原告は、同月一三日、自動車販売業者に一〇トンミキサー車二台を発注し(右発注の事実は〈証拠略〉により認める。)、同年七月二九日、その引渡を受けた。右車両の代金は、武紀が個人名義で振り出した約束手形に、原告が裏書をして、二四回の割賦払いで支払われ、車両の名義は原告とされた。

(三) 平成三年七月ころ、武紀は、克明の同意を得て、事業を行っていなかった土勝名義で生コン運送事業を行うことになった。しかし、武紀が土勝の取締役及び代表取締役として登記されたのは、平成四年七月一日であり、同日付けで千代田一浩の取締役登記もされた。なお、同日付けで土勝設立時の役員全員の辞任登記もされた。

3  原告及び土勝の営業状況

(一) 平成三年八月、土勝による生コン運送業務が開始され、原告から土勝に対し、同年八月分の運送代金として一〇〇万円が支払われた。武紀は、業務開始当初は自らミキサー車に乗務していたが、逐次運転手を雇い入れて毎日は乗務することがなくなった。また、土勝は平成四年一〇月までは土勝の運転手を原告所有のミキサー車に乗務させ、原告から運送代金を得ることがあった。

(二) 土勝は、原告の事務所及びミキサー車駐車場を使用していたが、平成三年八月三一日付けで一か月当たり賃借料を事務所が五万円・駐車場が一〇万円とし、賃借期間を二年間とする「事務所及び駐車場賃貸借契約書」が土勝と克明の間で作成された。しかし、右契約書に従って土勝から克明に対し賃借料が支払われることは全くなかった。また、原告の事務所内には、土勝を示す看板等の表示はなかった。

(三) 原告と土勝との間で、平成三年九月一日付けで傭車契約書が作成されたが、その内容は概ね次のとおりである。

(1) 契約期間

右同日から平成五年八月三一日までの二年間とする。

(2) 契約金額

大型一〇トン車 一か月当たり一〇〇万円

中型五トン車 一か月当たり七〇万円

ただし、右の金額には、原告が要望した早出・残業費を含むものとする。

(3) 諸費用の負担

燃料費、保険料、修理費ほか車両に関する一切の諸費用は土勝の負担とする。

(4) 休車の場合

大型一〇トン車 一日当たり四万円

中型五トン車 一日当たり三万円

傭車が休車した場合は、右金額を月末支払時に差し引くものとする。

(5) 契約の解除

土勝は、勤務時においては、服装、言動に注意し、現場等でのトラブルを起こしてはならない。万一、土勝が原告に損害を与えた場合は、原告は、土勝に対し、契約を解除できるものとする。

(四) 武紀は、平成三年一〇月一八日、一〇トンミキサー車二台を増車した。車両代金の支払については、先に購入済みの一〇トンミキサー車二台と同様に武紀が個人名義で振り出し、原告が裏書をした約束手形により二四回の割賦払いとした。なお、右車両登録は、土勝の名義でされたが、先に購入した二台については原告名義のままであった。

原告のミキサー車の車体には「DAITO」の文字が書き入れられていたが、土勝のミキサー車の車体には右表示はなかった。

(五) 土勝は、原告の生コン運送以外の仕事をすることは一切なく、原告からの運送代金は、平成三年九月分として二八八万円、同年一〇月分として三六八万円、同年一一月から平成四年一〇月までは毎月四〇〇万円台、同年一一月以降は毎月三〇〇万円台であった。

土勝の弁当代、燃料代、修理代、自動車保険料、労災保険料積増分等の諸経費の支払事務は原告が代行し、土勝は、運送代金からこれらの諸経費を差し引いた金額の支払を受けていた。

ただし、燃料代は、平成五年一月以降、土勝が直接業者に支払うようになった。

4  中井と土勝との雇用契約の締結と中井の日常業務等

(一) 中井は、平成四年五月ころ、原告の運転手である天野紘一(以下「天野」という。)から、「大藤の社長の兄が大藤専属の傭車をやっていて、運転手の欠員が一人できたから、行く気があるなら行くか。個人だから保険もボーナスもなく、月に三六万円ぽっきりや。」と誘われた(この事実は〈証拠略〉により認める。)。

そこで、中井は、同年六月二日、天野の紹介により原告の事務所で武紀に会ったところ、直ちに採用が決まった。中井は、武紀から「みんなのとおり、しとってくれたらよい。」と指示を受け、同日から土勝の生コン車への乗務を開始した。

(二) 原告は、業務課、技術課及び営業課の三課をもって組織され、生コンの出荷業務は業務課の所管となっている。通常、大型ミキサー車は一六台程度稼働しており、各ミキサー車には固有の号車番号が与えられ、ミキサー車の運転手は、各人専用に割り当てられた番号のミキサー車に乗務する。運転手に対する指示は、主に業務課長兼出荷係の中農吉視(以下「中農」という。)が行っていた。土勝のミキサー車は、一号車から四号車の番号が与えられており、中井は、一号車に乗車していた。

(三) 中井の日常業務は、おおむね次のとおりである。

(1) 一号車の始業点検をした後、午前七時五五分ころ、原告の朝礼に参加する。この朝礼には、克明を始め原告の役員が参加し、工場長による工事現場での諸注意等が行われる。右朝礼には、武紀も参加していたが、武紀が前に出て発言することはなかった。

(2) 朝礼終了後、一号車に乗り込み待機する。中農から自動無線により積込みの順番を伝えられると、ミキサー車をバッチャープラントへ移動させ、生コンの注入を受ける。

(3) 生コン注入の間に中農から出荷・納品伝票を受け取り、出荷伝票に記載された工事現場に向かう。到着時には到着した旨の無線連絡を原告に対し行う。

(4) 工事現場関係者の指示に従い生コンを打設、持参した納品伝票に現場監督者からサインを受領し、荷降ろし終了の無線連絡を原告に対し行い、原告に戻る。以後、中農の無線による指示どおり、同様の作業を繰り返す。

(5) 中農から残業を命じられることもあるが、通常は、午後三時三〇分ころに出荷作業を終える。ミキサー車を洗車し、所定の駐車場所に戻した後、一日の納品伝票を原告の事務員に渡したうえ、生コンの運送場所、発着時間及び運送料等を記載した運転日誌を作成する。作成した運転日誌とミキサー車に搭載されているタコメーターのチャート紙を原告事務所内所定の原告の運転手と同じ場所に置いて、午後四時ころ退社する。土勝に対し、業務結果を報告することはなかった(以上の事実は、〈証拠略〉により認める。)。

(6) 以上の業務については、原告の運転手と全く同じであった。また、武紀も、ミキサー車に乗車したときは、同じ業務を行っていた。

(7) 土勝には月極で一定の運送代金が支払われるため、土勝の一号車ないし四号車は、朝、原告のミキサー車よりも先に走らされた。

(8) 中井は、自己都合で休暇を取りたいときは、原告の出荷係へ連絡し(この事実は〈証拠略〉により認める。)、武紀には届けなかった。また、所定の届出書を提出することもしなかった。

(9) 原告の運転手は、出社時及び退社時にはタイムカードに打刻するが、中井にはタイムカードがなく、打刻したことはなかった。

原告の運転手は、原告のネームの入った制服を毎年一着ずつ、同防寒服を二年に一着ずつ、定期的に支給され着用していたが、中井には、同様の支給はなかった。

中井は、天野から分けてもらった原告のネーム入りの制服を着用するなどしていた。

(四) 中井は、武紀から、土勝と表示された給料明細とともに、月々の給料を手渡された。給料明細の内容は、平成五年三月までは、基本給三五万円、弁当代一万五〇〇〇円、同年四月以降は、基本給三七万円、弁当代一万五〇〇〇円であった。残業手当が支払われることはなかった(残業手当が支払われなかったことは、〈証拠略〉により認める。)

5  中井が補助参加人組合に加入するに至る経緯

(一) 平成三年九月ころ、原告と土勝は、運輸一般労組から一年以内に土勝が道路運送事業免許を取得できなければ、無許可業者車(ママ)であるため、土勝の傭車をしないよう申入れを受けた。

平成四年六月ないし七月ころ、土勝は、運輸一般労組から再度、道路運送事業免許を取得するよう申入れを受けた。しかし、武紀は、同免許の取得は困難と判断し、取得のための手続を取らなかった。

(二) 克明は、平成四年八月ころ、中井ほか一名の土勝の従業員を原告の社長室へ呼び、「今年いっぱいで土勝の傭車をやめようと思うが、うちへ来る気があるか。」と尋ねた。これに対し、中井は、武紀との関係がある旨答えて断った。

克明は、同年一二月ころ、武紀に対し、同月限りで傭車をやめたい旨話をしたところ、武紀は、平成五年八月三一日まで傭車契約があるので、裁判をしてでも傭車を続けたい旨主張したので、克明は、そのまま土勝の傭車を継続することとした。

(三) 平成五年七月二〇日ころ、土勝のミキサー車のドラムの文字(軽量生コン、普通生コン)が白く塗りつぶされた。奇異に思った中井が武紀にその理由を尋ねたところ、その際、武紀から、道路運送事業免許を取れないため原告の仕事を続けることができなくなったとの説明を受けた。

(四) 天野が武紀に対し、平成五年八月中旬ころ、中井の処遇について尋ねたところ、武紀は、「平成五年八月三一日には原告を撤退し、猪名川に引っ越して続けるつもりだ。」と言った。

そこで、天野は、中井が猪名川に通うのは遠いため原告で一緒に仕事ができれば良いと考え、中井を連れ、克明のところへ原告の社員にしてもらえるよう頼みに行った。しかし、克明は、原告では、人員も必要ないし、運輸一般労組との関係もあるから難しい旨返事した。

その後、職を失うのではないかと不安になった中井は、同業他社に勤める友人に相談したところ、補助参加人組合を紹介され、同月二四日に補助参加人組合に加入した(この事実は〈証拠略〉により認める。)。

6  原告に対する団体交渉申入れとその拒否

(一) 補助参加人の組織部長、財政部長及びオルグら五名は、平成五年八月三〇日昼ころ、中井の労働組合加入通告書及び同年九月二日を交渉日時とする団交申入書を携え、原告を訪れた。同通告書及び申入書は、原告の取締役中農文夫が受け取った。

団交申入書の要求事項は、概ね次のとおりであった。

(1) 分会に分会事務所と掲示板を貸与し、その他組合活動に必要な会社施設の利用を認めること

(2) 組合員に影響を与える問題(身分、賃金、労働条件の変更)については、事前に補助参加人と協議して、労使合意のうえで円満に行うこと

(3) 次の組合活動については、就業時間内でもこれを認め、平均賃金を保障すること

ア 組合の正規の機関会議への出席

イ 組合の結集する教育集会、労使協議会が開催する会議・懇談会・研修会等への出席

ウ 団交への出席

(二) 平成五年八月三〇日夕刻、克明は、土勝関係者を除く原告の全従業員を集め、「一つの会社で労働組合が二つも三つも分かれるようになったら、会社も大変や。会社がつぶれるかもわからん。」と発言した(この事実は〈証拠略〉により認める。)。

同日夜、天野は、克明の依頼を受けて、原告の従業員三名を連れて中井方を訪れ、中井に対し、「組合ができたら、社長が原告をつぶすかもわからんので、組合をやめて欲しい。」と話した。しかし、天野は、中井を説得することはできなかった。

同月三一日朝、武紀は、中井に対し、「明日から会社をやめる。来なくて良い。少ないけど退職金や。」と言って四〇万円を渡したが、中井は、同日昼ころに返却し、その日は通常どおり仕事をした。

同日午前、克明は、天野から中井方へ行ったが説得できなかった旨の報告を受けたので、天野に対し、今夜、中井に話をしてどういういきさつでこうなったのか、聞きたい旨話した。

そこで、天野は、知合いであった中井の妻に電話をかけたが、会うことを断られた。その後、天野は、現場で中井とも話をしたが、中井は、「わしは、もう組合を通じてしか話をせん。」と述べて断った。

(三) 右同日午前、補助参加人は、原告の事務所内の積荷進入口にピケを張り、積荷の妨害を行った。同日午前一一時三〇分ころ、武紀が現場から戻ると、補助参加人の組合員から「やめんとがんばれや、何とか原告で働けるようにしてあげるから」と言われた。そこで、武紀は、ピケを張っていた補助参加人の組合員らに対し、「中井は土勝の人間だから原告とは関係ない。原告に迷惑をかけられへんから、何とかピケを解いてくれ。」と頼んだ。そして、ピケは、同日午後〇時三〇分に解かれた。

(四) 平成五年九月一日、中井が出社したところ、原告の工場長である歳内芳樹から「原告の従業員でないので、乗る車はないから帰ってくれ。」と就労を拒否された。中井がそれまで乗っていた一号車はなくなっていた(この事実は〈証拠略〉により認める。)。

(五) 原告は、平成五年九月二日、補助参加人との団交に応じなかった。補助参加人は、原告に対し、同月一〇日までに団交に応じるよう再度申し入れたが、原告は、同月四日付けで補助参加人に対し、「中井氏が当社の従業員であるとご主張されていますが、当社はそのご主張が理解できません。貴組合の団交申入れには沿いかねます」との文書を送付した。

(六) 土勝は、平成五年一〇月一三日、同年八月三一日付けで解散を決議した旨の登記をした。また、同年九月八日及び一九日には、土勝の使用していたミキサー車四台が売却された。

(七) 補助参加人は、原告に対し、平成五年一〇月二八日付け団交申入書により、同年一一月五日を開催日時として、「分会長中井の雇用関係確認の問題について」と併せて、前記平成五年八月三〇日付け団交申入書の事項についての団交開催を申し入れたが、原告は、補助参加人の申入れに応じなかった。

7  本件各救済命令の申立と命令書の発令等

(一) 補助参加人は、平成五年一一月一九日、原告を相手に、被告に対し、同年一〇月二八日付けで申し入れた団交申入書に関する団交に応じることを求めて救済申立をした(本件第一救済申立事件)。

(二) 平成五年一二月七日、中井は神戸地方裁判所に対し、原告を相手方として仮処分命令の申立てを行い(以下「本件仮処分事件」という。)、同裁判所は平成六年六月二〇日、中井が原告に対し雇用契約上の権利を有することを仮に定めるとともに、原告に対し、中井に対し平成五年九月一日から本案の第一審判決があるまでの間毎月三七万円を仮に支払うことを命ずる仮処分決定を行った。

(三) 平成六年六月二二日、補助参加人執行委員西岡日出夫は、原告に対し、口頭で中井の就労に伴う諸問題について団交を開催するよう申し入れたが原告はこれを拒否した。また、補助参加人は翌二三日にも同趣旨の団交申入れを行ったが、原告は再度拒否した。

(四) 平成六年七月五日、中井は、神戸地裁に対し、前記(二)記載の仮処分決定の金員の支払を求めて強制執行を申し立て、同月六日強制執行により小切手四通(額面合計三七〇万円)が原告から振り出され、同年一〇月末には最終の支払が行われた。

(五) 平成六年七月八日、原告は、中井に対し、「神戸地裁の仮処分決定に従って、中井を雇用契約上の権利を有するものとして仮に取り扱う。なお、現金支給、就労などは雇用契約上の仮扱いを行うことであって、真実の身分があっての取り扱いではない」旨内容証明郵便で通知した。

(六) 平成六年七月一二日、原告は補助参加人に対し、「中井が明日から働きに来てくれてもよい」旨回答し、これを受けて中井は翌一三日から原告方で仕事を始めた。同日以降、中井の運転する生コンミキサー車はこれまでの大型から小型に変わったが、それ以外の業務内容は以前と同じであった(この事実は〈証拠略〉により認める。)。

しかし、原告と中井の間で中井の労働条件についての取決めは何らされなかった。中井は、原告から仮処分で定められた三七万円の支払を毎月末に受けているが、残業に伴う手当や通勤のための交通費などの支払いは受けていない。また、原告は、中井の社会保険の加入手続を取らず、中井との間で有給休暇の取決めもしていない。

(七) 補助参加人は、原告に対し、平成六年七月一二日付で「未払賃金の精算、中井の労働条件、その他」を議題とする団交を同月二二日に開催するよう申し入れたが、原告はこれに対し回答しなかった。そこで、補助参加人は、同月二〇日、二一日及び二二日に原告に赴き、団交申し入れに応ずるよう求めたが、原告がいずれも拒否したため、組合の指定した期日である同月二二日の団交は行われなかった。

補助参加人は、同年八月八日、一〇日及び一一日にも原告に対し口頭で団交を申し入れたが原告は応じなかった。

(八) 平成六年九月一六日、補助参加人は、原告に対し、団交申入書を送付し、「未払賃金の精算、中井の労働条件、その他」を議題とする団交を同月二七日に開催するよう申し入れた。

しかしながら、原告がこれに応じなかったため、補助参加人は、同年一〇月三日、被告に対し、同年九月一六日付けで申し入れた団交申入書に関する団交に応じることを求めて救済申立をした(本件第二救済申立事件)。

(九) 被告は、本件第一救済申立事件につき、平成七年三月二九日付けで「被申立人は、申立人から申入れのあった平成五年一〇月二八日付け団体交渉申入書に関する団体交渉に速やかに応じなければならない。」旨の主文の命令を発し、同命令書は、そのころ、原告に交付された。

(一〇) 被告は、本件第二救済申立事件につき、平成七年一二月一二日付けで「被申立人は、申立人から申入れのあった平成六年九月一六日付け団体交渉申入書の議題(ただし、未払賃金の精算の件を除く。)に関する団体交渉に速やかに応じなければならない。」旨の主文の命令を発し、同命令書は、そのころ、原告に交付された。

二  主たる争点

1  原告は、中井との関係において、労働組合法(以下「労組法」という。)七条二号所定の「使用者」に当たるか。

(原告の主張)

原告は、中井との間において、雇用契約を締結しておらず、中井に対し労働関係上の支配力を行使していないので、原告は、中井について、労働契約上の雇用主でないのはもちろん、労組法七条二号所定の使用者でもない。

(被告の主張)

原告は、中井の労働契約上の諸利益に対して、中井の雇用契約上の雇い主である土勝と同視できるほど、具体的な影響力ないし支配力を及ぼしうる地位にあり、また、原告の代表取締役の伊藤克明は、中井を原告の従業員と同視していたことが推認されることから、労組法七条二号所定の使用者に当たる。

(補助参加人の主張)

原告は、中井との関係において、単に労組法七条の使用者であるにとどまらず、労働契約上の雇用主に当たる。

2  補助参加人は、労組法七条二号所定の「使用者の雇用する労働者の代表者」であるか。

(原告の主張)

補助参加人は、原告を雇用主として団体力の行使ができる大藤生コン三田事業所の従業員を代表するものではないから、労組法七条二号所定の「使用者の雇用する労働者の代表者」ということはできない。

3  本件各命令が命ずる事項は、団交の対象事項となりうるか。

(原告の主張)

本件各命令は、労働者個人の労働条件等についてまでも、団交を命ずるが、かかる労働者個人の個々的な事項は、団交の対象となり得ない。

第三判断

一  主たる争点1について

1  補助参加人は、原告は中井との関係において労働契約上の雇用主に当たる旨主張するので、まず、原告と中井との間に労働契約関係が成立しているか否かについて検討する。

(一) 原告は、形式上土勝との間で生コン輸送に関する請負契約である傭車契約(以下「本件傭車契約」という。)を締結し、これに基づき土勝の従業員である中井らをして右生コン運送業務に従事させていたものであるから、中井の雇用契約上の使用者は土勝であり、中井は本件傭車契約に基づいて原告に対して労務を提供していたに過ぎないと考えられないではない。

(二) しかしながら、前記認定の事実によると、原告は、中井に対し、原告の従業員と同様に始業から終業に至るまでの間の業務について指示、命令を与えるとともに、運転日誌及びタコメーターのチャート紙を提出させて一日の業務結果を報告させ、中井はこれら原告の指示、命令に従って労務を提供していたものであるうえ、中井の労働時間及び休暇についても、原告がこれらを決定していたものと認めることができるから、原告と中井との間には強度の指揮命令関係が存在していたというべきである(なお、原告の従業員にはタイムカードの打刻が義務づけられていながら、中井ら土勝の従業員にはこれが義務づけられていなかったが、これは中井ら土勝の従業員には残業手当が支払われていなかったためにその必要がなかったために過ぎないものと推認され、中井ら土勝の従業員が自由に出社時間や退社時間を決定し得たとは到底認められないから、これにより右認定が左右されるものではない。)。

一方、土勝は、もともと原告が肩書地に進出するに際しその名義だけを利用するために設立された法人であり、出資の払込みもされておらず、事務所をはじめとしてこれといった資産もなく、銀行口座も開設していない全く実体のない法人であり、その法人格は全く形骸化していた(土勝がこれといった資産を有していなかったこと及び銀行口座を開設していなかったことは、〈証拠略〉により認める。)。また、土勝は、原告の生コン運送以外の仕事は一切しておらず、その代表取締役である武紀も、ミキサー車に乗車したときは、一運転手として、他の土勝の従業員らと同様、原告方において原告の指揮命令の下に生コンの運送業務に従事していたに過ぎなかったのであって、中井ら土勝の従業員に対し、およそ業務に関する指揮命令を行う立場になかった(このことは、武紀は、中井を採用するに際し「みんなのとおり、しとってくれたらよい。」との指示しか与えていないことからも明らかである。)。これらの事実からすると、土勝はもとより、武紀にも、中井の雇用主としての実体はなく、土勝は、実質的には原告の企業組織の一部として完全に組み込まれていたというべきである。

もっとも、この点、中井ら土勝の従業員が乗務していたミキサー車は、武紀が本件傭車契約に基づいて原告に提供していたものであり、また、中井ら土勝の従業員の賃金は、本件傭車契約に基づいて原告から土勝に対し支払われる傭車料の中から、武紀が土勝名義で支払っていたものであるから、土勝又は武紀には、その限りで中井の雇用主としての実体があったのではないかとの疑問が生じ得ないわけではない。

確かに、土勝が原告に提供していた四台のミキサー車は、一応武紀が購入して代金を支払っていたものである。しかしながら、(証拠略)によれば、原告が土勝に対して支払っていた傭車料は、土勝の運転手の賃金に右ミキサー車購入代金の月々の支払額、燃料費及び修理費等の諸経費を上積みした額に若干の余剰が生じるように決定されていたに過ぎないこと、本件傭車契約の期間が二年間と定められたのは、武紀の購入したミキサー車の購入代金の支払が二四回払いであったため、その支払完了の時期と合わせたものであることが認められ、そのうえ、原告が右ミキサー車の購入代金の支払を保証していることを考慮すると、右ミキサー車の購入代金は実質的には原告が負担していたと評価できなくもない。さらに、右ミキサー車のうち二台の登録名義は原告であること、修理代及び自動車保険料の支払はすべて原告が代行していたこと(なお、〈証拠略〉によれば、自動車保険は原告名義で加入されていたことが認められる。)、右ミキサー車は原告の駐車場を無償で使用していたこと等を考え合わせると、右ミキサー車の所有権の帰属はかなり曖昧なものであったといわざるを得ない(途中から燃料費を土勝が直接支払っていることも、右評価を左右するものではない。)。また、右のような傭車料の実質及びミキサー車の諸経費の支払を原告が代行していたことに鑑みれば、右傭車料は、土勝の企業活動に対する対価としての性格が希薄であり、中井らに対し賃金を支払っていたのは実質的には原告であって、土勝は賃金の支払を代行していたに過ぎないと評価し得るものである。

してみれば、本件傭車契約の存在及び中井の賃金が土勝名義で支払われていたことから、土勝又は武紀に雇用主としての実体があったということはできない。

以上の意味において、中井は、形式として土勝の従業員でありながらも、その実質において、強度の指揮命令関係の下、生コンの運送業務に従事してきたということができる。

(三) さらに、中井が補助参加人に加入した後の克明の言動からは、同人が中井を事実上自己の従業員と同視していたことが推認される。すなわち、前記認定の事実によれば、克明は、中井が補助参加人に加入したことを知ると、原告の従業員を集め、「組合が二つも三つも分かれたら会社がつぶれるかもしれん。」と発言し、天野に依頼して中井を補助参加人から脱退させるように説得させ、天野の説得が失敗に終わると、自ら中井と話をしようとしているのであって、これら克明の一連の言動は、同人が中井を自己の従業員と同視していたのでなければ説明がつかないものである。この点に関し、克明は大阪府地方労働委員会の審問において、前記発言は土勝がつぶれるかもしれないとの趣旨であった旨供述する(〈証拠略〉)が、右は、前記発言の内容に照らし不自然であるので、採用できない。

(四) 以上に述べたところを総合すれば、本件においては、原告と中井との間には強度の指揮命令関係が存在しているのに対し、土勝はもとより武紀には、中井の雇用主としての実体がなく、土勝は実質的には原告の企業組織の一部と同視すべきものであるうえ、原告代表者も実質的には中井を自己の従業員と同視していたことが認められるのであるから、原告と中井との間には黙示の雇用契約が成立していたというべきであり、原告は、形式上中井が土勝の従業員であることをもって中井との労働契約関係を否定することはできないというべきである。

なお、前記のとおり、克明は、中井ほか一名の土勝の従業員に対し、平成四年限りで土勝の傭車を止めるので、中井らに対し、原告に来る気持があるか質問したのに対し、中井は、武紀との関係があるとして、これを断ったことが認められるが、右事実によれば、克明及び中井ともに、中井と原告との間に労働契約関係が存在しないことを前提に、中井の原告への入社についての話し合いをしたかのごとくであるが、右は、あくまでも、中井が形式的には土勝の従業員であることから、そのことを前提に、中井の原告への入社についての話し合いをしたということができるので、克明と中井との間に、前記のやり取りがあったからといって、原告と中井との間に黙示の雇用契約が成立し、原告と中井との間に労働契約関係があったことを否定することはできないというべきである。

2  以上のとおり、原告と中井との間には労働契約関係が存在するというべきであるから、原告は、労組法七条二号所定の「使用者」に該当する。

二  主たる争点2について

労組法七条二項(ママ)にいう「雇用する労働者の代表者」とは、当該労働者が加入している労働組合であれば足り、使用者の雇用する労働者の大部分が加入している労働組合であることを要しないところ、主たる争点1において判示したとおり、原告は、中井との関係において労組法七条二号所定の使用者に該当するのであるから、中井が現に加入している労働組合である補助参加人との団体交渉を正当な理由がなく拒むことができないことは明らかである。この点の原告の主張は独自の見解に基づくものであって採用できない。

三  主たる争点3について

原告は、個々の労働者の労働条件は団交事項になり得ないと主張する。しかしながら、組合員の労働条件に関する事項で使用者が処分可能なものについては、使用者は団体交渉に応じる義務があるというべきである。そして、原告は中井の労働契約上の使用者に該当するのであるから、補助参加人の申し入れに係る団交事項はいずれも団体交渉の対象として許容されるべきものである(なお、補助参加人の平成五年一〇月二八日申し入れに係る団交事項である「分会長中井健一の雇用関係確認の問題について」は、厳密にその文言に従う限り、客観的な法律関係にかかる問題というべきであって、使用者である原告が処分するとか、しないとかの問題ではないといえるが、右は、要するに、中井が就労を拒否されている状況において、同人の現実の就労を求める趣旨であると解されるので、これは使用者である原告において処分可能なものであるということができる。したがって、この点も団体交渉の対象として許容されるべきものである。)。

四  以上によれば、原告が中井との関係で労組法七条二号所定の「使用者」に当たることを前提に、補助参加人の申し入れにかかる団交事項につき、原告に対し団交を命じた本件各命令は適法である。

五  よって、原告の請求はいずれも理由がなく、棄却されるべきである。

(裁判長裁判官 中路義彦 裁判官 谷口安史 裁判官 仙波啓孝)

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